しし座流星群後日談〜複数のちりのチューブ(第5回 11月2週)
 
 今年(1999年)のしし座流星群は、悪天候のため見られた方は少なかったのではないでしょうか。 一番多く流れる「極大」と考えられていた17日の深夜、いつもの観測場所に出かけた私も、雲の切れ間からわずか一つの流れ星を見ただけでした。午前3時頃には霧雨も落ちてきたため、あきらめざるを得ませんでした。
 その数時間後、西欧では1時間に数百個を越える流星の大出現があり、日本でも青空の中に流星を見たという報告があったそうです。
 翌18日。もう極大も終わり、次は33年後かと思いながらも念のため夜空を見上げました。桐生の町中からでも、いくつかの流れ星が見られましたが、寝不足のため午前1時過ぎに就寝。ところがその後も観測を続けた友人の話では、2時過ぎからかなりの流れ星が見られたそうです。
 どうしてこんなことが起こるのでしょうか。
 今までは、ほうき星の通った道筋に流れ星の元となるちりが一本のチューブのように広がっていて、そこを地球が通過する時刻が極大と考えられていたのです。ところがどうやらそうではないらしいと言う学説が今、注目の的となっています。その説では「ほうき星が太陽に近づいた数だけ、ちりのチューブができる。チューブ状になったちり自体も太陽の周りを回るが、元のほうき星の道筋とはだんだんずれていく。何本もあるチューブの濃いところを地球が通ると流星雨になる。昨年の極大が予報より18時間も早まったのは、その時刻よりも早く、1333年にほうき星から出されたちりの中を地球が通過したためだと計算できる。」というのです。
 さらに「2001年には、1886年にほうき星がまき散らしたちりのチューブの中を地球が通るため、1時間に数千個以上の流れ星が見られる」というのです。しかも、その時刻は日本時間で19日の午前3時。月明かりもなく、絶好の条件です。今度こそ、文字通り雨のように降り注ぐ流星雨を拝みたいものです。

連載裏話
  この連載では、自分で作ったり、撮ったりした図表や写真を必ず載せるようにしましたが、今回ばかりは私の手には負えませんでした。結局、タイムス社の方に全面的にお願いしてしまいました。
  新聞では、「アーマ天文台のHPから引用」と明記した形で、2001年の地球とチューブの位置関係を示した図が載っていました。詳しい説明ができなかったので、何のことだかわからなかった人も多かったのではないかと思っています。
  この学説は提唱者の名前を採って「アッシャー理論」と呼ばれていますが、本当に2001年が楽しみです。
2000年のしし群
  さて、今年(2000年)のしし座流星群はどうなることでしょう。極大は11月17/18日と考えられていますが、満月2日前の月が夜空に輝いています。これでは、肉眼ではある程度楽しめたとしても通常の写真観測は難しいと思います。
  そこで私は、日本流星研究会がアナウンスしている「流星痕同時観測キャンペーン」を参考に、自分なりの観測をする予定です。これは、明るい流星が出現した後に、白い雲のような永続痕が残ったら、すぐにカメラを向けて撮影するのです。焦点距離はなるべく75mm以上でF2.8よりも明るいレンズを使うのがポイントです。ISO800以上のカラーフィルムを使い、5秒程度の露出で時間分解能を高めるのですが、これならば月明かりも関係ありません。もし、撮影できれば流星痕の出現高度や複雑なスパイラル構造を解明する貴重な資料になります。
  もう一つは昼間流星群の観測です。1999年には真っ昼間に流星を観測したという報告がありました。これが本当の現象なのか、自分の目でもぜひ、確かめてみたいのです。
  詳しくは、日本流星研究会まで。
2001年のしし座流星群
 いよいよ2001年がやってきました。私が所属する群馬星の会では太田宇宙の会とともにアッシャー氏の講演会を開きました。そして極大が予想された11月18日深夜、素晴らしい天体ショーを堪能することができました。これらの様子については、上記のリンクよりご覧下さい。

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